ここでは、私の三沢市議会議員選挙の裏話を記載致します。

選挙前までの話

まず、事前の票読み。

私は地盤が全くないか?と言われれば、そういう訳ではありません。

学生時代の同級生等とのつながり、そして日本原燃時代の会社内でのつながり等から、150票程度は固定で取れるだろうと計算していました。

三沢市議会議員選挙は2016年で600票台でも奥本さんが落選されていましたので、
ボーダーを700票~800票で計算し、地盤150票に+550票~650票は必要だと考えました。

「ネット中心の活動」ではなく「ネットもやる戦略」

私はネットだけで勝ったような印象をかなり持たれていますが、「ネットもやる」という全方位戦略で挑んでおり、ネットはその戦略の一部の活動に過ぎませんでした。

私の戦略として無所属で出馬し、無党派層を多く取り込みたいと考えていましたので、その為には、様々な形で有権者の方に認知して頂く必要があると考え、1つの方向の活動だけではなく、全方向の活動をする「全方位戦略」的な事を実施しようと決めていました。ですので地上戦と呼ばれる活動も空中戦と呼ばれる活動も全部やろうと考えていました。

ただ、他の候補者の皆様がネット活動(空中戦)を積極的に行っていなかったので、私のネット活動の部分が大きく取り上げられ、「ネットを中心に活動している」という印象がついたのだと思います。

1月2月はほぼ、オフラインの活動

ネット上の主要なコンテンツは2019年の12月で作り終えて、1月と2月はほとんど、オフラインの活動にあてました。

オフラインの活動とは?ポスティングや人と世間話する活動です。

ポスティングは三沢市内全域をほぼ周りました。
⇒正直、選挙前はポスティングが一番大変でした。

世間話の活動とは?三沢市民の方と話してみたり、呼ばれた所に行って喋ってみたり、そのような活動をしてました。

選挙戦の話

選挙戦は3月1日(日)~3月7日(土)までの1週間でした。
その時の活動の詳細を公開します。

スタッフは本当に少なく、初日から人手不足。

ポスターを貼るのに大苦戦。

私の陣営はスタッフが本当にいませんでしたので、初日からスタッフの人数が足りず、
ポスターが貼れませんでした。

後から聞いた話ですが、ポスターが貼ってなくて逆に目立ってたよ!とか
ポスター貼ってないのも、もしかして計算でやってたのか?等言われましたが
⇒単なる人手不足です。候補者(私)自ら、ポスターを貼ってました。

私1人しかいない時間帯もありましたので、少数精鋭のチームで頑張りました。

「街頭演説はやらなかった」ではなく「やれなかった」

私の選挙事務所

正直、スタッフの人数があまりにも少なかったです。

お金をかけないクリーンな選挙を目指しすぎて、自分の業務量がとても多かったです。

以下の事を候補者本人(私)が全て対応していましたので、選挙戦の際は時間がほとんどなかったです。

私、候補者本人の仕事
〇告示日の届出やくじ引き
⇒他の陣営は代理人でしたが、私は自分で行きました。
〇雪かき
⇒初日雪かきをしました。
〇ポスター張り
⇒ポスターが間に合ってなかったのでポスターを貼ってました
〇事務所看板設置、のぼり設置
⇒初日に事務所看板やのぼりを設置してました。選挙期間中に、看板が風で何回も飛ばされました。
〇動画編集・撮影
⇒街頭演説の様子を撮影して、動画編集して、YouTubeに投稿しました。
〇ブログ作成・投稿
⇒ブログを作成しました。事前に作成しておこうかと思いましたが、熱が大事だと思い、全て当日に作成しました。
〇SNS対応・メッセージ対応
⇒SNSでの投稿やFacebookやLINEでのメッセージやり取りをしました。
〇電話対応
⇒電話での対応も行いました。
〇来客者対応
⇒来客者が来た時の対応も行いました。
〇テレビ朝日の取材対応
⇒時間が多少取られていました。

なので、選挙事務所にこもってる時間や各種作業の時間の方が圧倒的に多くなり、必然的に街頭演説に時間を費やせませんでした。

正直コロナで落選したと思いました。

コロナで大ピンチ。「落選」が頭をよぎる。

正直、コロナが来るまでは良い勝負ができると実感していましたが、コロナが浸透してきた時に、「ああー落選したかな」と思ってしまいました。

というのも、コロナで大きく投票率が下がると当選が難しくなるのは、私のような無党派層頼みの候補者だと考えていたからです。

私は無党派層狙いですので、コロナ発生⇒無党派の人が投票にいかない⇒無党派頼みの自分が当選しなくなるという結末を予想していました。

ただ結果として650票で当選できました。多くの三沢市民の方が、コロナに負けず私に投票するという高いモチベーションで投票所まで足を運んで下さり、本当に感謝しています。

最後に

今回無党派層の方へ私の事を認知して頂けるように様々な施策を打ちました。結果的に、投票日当日には三沢市の多くの方が私の事を知っている状態に持っていく事が出来たと思っています。

しっかりとこれから議員として頑張って行きたいと思っています。